ジミヘンってどう凄いの?
ジミ・ヘンドリックスは1970年に27歳でこの世を去っていますが、現在も伝説のギターヒーローとして語り継がれています。しかし、実際に聴いてみても凄さがわからなかった方もいらっしゃるはずです。この記事では、ジミ・ヘンドリックスがなぜ凄いのかをわかりやすく解説いたします。理解を深めるために、お役立てください。
ジミヘンは、ロックギターの根幹を生み出した伝説のギタリストです
目次
ジミ・ヘンドリックスってどんな人?
音楽活動名 | ジミ・ヘンドリックス |
本名 | ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス |
生誕~死没 | 1942年11月27日~1970年9月18日 |
活動期間 | 1963年~1970年 |
国籍 | アメリカ |
ジミ・ヘンドリックスは、史上最高のロックギタリストともいわれます。1960年代に活躍しました。まずは、ジミ・ヘンドリックスの経歴を紹介します。
ジミ・ヘンドリックスの子ども時代
1942年11月27日、ジミ・ヘンドリックスは、アメリカ・ワシントン州シアトルに生まれました。アフリカ系の父親とアメリカ先住民の母の間に生まれたブラックインディアンです。少年時代はレコードを聴き、独学でギターを学びました。15歳でギターを手にしたジミ・ヘンドリックスは、ブルースやR&B、ロックンロールを聴いてひたすら練習に明け暮れます。
ジミ・ヘンドリックスの青年期
プロミュージシャンとして頭角を現したのは、1960年代に入ってからです。伝統的なブルースを根幹に革新的なロックギターを披露。有名なエリック・クラプトンでさえ「誰もジミ・ヘンドリックスのようなギターは弾けない」と言います。
当時は音楽にも人種差別的な考えがありましたが、黒人であるジミ・ヘンドリックスが白人向けのロックスターとして売り出されたのも当時は異例でした。それほどまでに、ジミ・ヘンドリックスは音楽界に革命を与えた存在だったのです。
ジミ・ヘンドリックスの謎の多い死
メジャーデビューから4年、ジミ・ヘンドリックスはギターヒーローとして大成功を収めます。しかし、過密スケジュールやプレッシャーによって精神に不調をきたすように。人間関係の悪化とともに、薬物に依存しました。
そして、人気絶頂期にジミ・ヘンドリックスは27歳でこの世を去ります。死については謎が多いものの、薬物乱用によって亡くなってしまった説が一般的です。
ジミ・ヘンドリックスの凄さとは
ジミ・ヘンドリックスの凄さは、唯一無二の表現力。まだ誰も激しいロックギターをやっていなかった時代に、初めてステージで激しいロックギターを披露したパイオニアです。そのため、現代の激しいロックギタリストのルーツを追求すると、ジミ・ヘンドリックスに行き着きます。
ここからは、ジミ・ヘンドリックスの凄さをより深掘りして解説いたします。
ロックギターの根幹を生み出した
ジミヘンを聴いても、あまり凄さがわからなかったんだけど……
当時は革新的なプレイでしたが、既に影響が広がりすぎた現在では普遍的なロックギターに感じるかもしれません
ジミ・ヘンドリックスは、激しいロックギターの世界観を創造しました。ロックギターといえば、高速オルタネイト・ピッキングやスウィープといったテクニカルな奏法を想像する方も多くいらっしゃるはずです。
そして、ジミ・ヘンドリックスのギターは1960年代当時としては画期的なプレイでしたが、現在聴いてみるとテクニカルさはありません。しかし、ジミ・ヘンドリックスのギタープレイには、激しいロックギターの根幹が詰まっています。つまり、ジミ・ヘンドリックスが登場しなければ、現代のようなロックギターは存在しなかったことになります。
強烈なライブパフォーマンス
ジミ・ヘンドリックスはギタープレイだけでなく、視覚からも人々に衝撃を与えています。強烈なライブパフォーマンスです。
まさにインパクト大。1960年代の当時も、かなり目立ったはずです。ジミ・ヘンドリックスの刺激的で危ういライブパフォーマンスは、観客を熱狂させました。
繊細な表現力
ジミ・ヘンドリックスのギターは、とても起伏に満ちています。いかにも、ファズっぽい音色の時もあればクリーントーンで優しい音使いの時も。そしてギターの音色だけでなく、手元のニュアンスも多様です。
そもそもジミ・ヘンドリックスは、ギターを手にした時から即興性(アドリブ力)が求められるブルースに傾倒していました。ギターのアドリブには音楽的なセンスだけでなく、スケールの把握や手元のニュアンスなど論理的な思考が求められます。
ジミ・ヘンドリックスのギタープレイは、リフやリード(メロディー)部分以外のアドリブが多いです。ギターソロは、2度と再現できないとさえ言われます。アドリブで培われたジミ・ヘンドリックスの表現力は、編曲やライブの臨場感、作曲など随所で活かされました。
ジミ・ヘンドリックスの代表曲
ジミ・ヘンドリックスの魅力を感じるなら、実際に聴くのが一番です。ここでは、ジミ・ヘンドリックスが残した名曲を3曲紹介します。
- Purple Haze(パープルヘイズ)
- All Along the Watchtower(オールアロングザウォッチタワー)
- Foxey Lady(フォクシー・レディ)
Purple Haze(パープルヘイズ)
発表アーティスト | ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス |
発表年月日 | 1967年 |
収録アルバム | 『Are You Experienced』『Axis: Bold As Love』『Electric Ladyland』 |
Purple Hazeの特徴は、ジミ・ヘンドリックス以前のロックではあまり使われなかった「ジミヘンコード」を多用していること。ジミヘンコードは正式なコード名で言うとE7(#9)です。
ジミ・ヘンドリックスは大胆にE7(#9)を取り入れて、退廃的な歌詞の世界観をさらに強調。Purple Hazeはジミ・ヘンドリックスの代表曲としても有名ですが、従来の価値観を壊したロックの名曲として歴史に残っています。ドラッグやセックスを思わせる歌詞から「サイケデリックドラッグソング」とも呼ばれることも。
All Along the Watchtower(オールアロングザウォッチタワー)
発表アーティスト | 原曲:ボブ・ディラン |
発表年月日 | 1967年 |
収録アルバム | 『Electric Ladyland』 |
All Along the Watchtowerは、ボブ・ディランの曲をカバーです。ジミ・ヘンドリックスバージョンは、原曲から離れた激しくうねるようなギターサウンドとサイケデリックなアレンジとなりました。
ボブ・ディランが発表した時よりも、ジミ・ヘンドリックスの発表時のほうがセールスを記録します。ビルボードチャートで2週連続20位を記録。
ジミ・ヘンドリックスバージョンを聴いたボブ・ディランも「これが公式の完成版」だと大絶賛します。ジミ・ヘンドリックスのロックギターが堪能できる曲です。
Foxey Lady(フォクシー・レディ)
発表アーティスト | ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス |
発表年月日 | 1967年 |
収録アルバム | 『Are You Experienced?』 |
Foxey Ladyは、1967年に発表されたアルバム『Are You Experienced?』のオープニング曲として収録されています。ハードでヘヴィなギターサウンドでありながらも、フレーズはブルージーです。
タイトルの通り、歌詞はセクシャル。Foxey Ladyを演奏するときのジミ・ヘンドリックスは、派手なステージパフォーマンスを披露します。
まとめ:ジミ・ヘンドリックスはロックを創造したから凄い!
この記事では、ジミ・ヘンドリックスの凄さを紹介しました。ジミ・ヘンドリックスはプロデビューから僅か4年、公式アルバムは4枚しか展開していません。しかし、ジミ・ヘンドリックスにまつわるアルバムは100枚以上あると認識されています。
ジミ・ヘンドリックスは、現代でも強烈な影響力を持つギタリストです。ジミ・ヘンドリックスの凄さが少しでも伝われば嬉しく思います。
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