レイ・チャールズの名曲が知りたい!
レイ・チャールズといえば「愛さずにはいられない」「我が心のジョージア」「WHAT’D I SAY」が有名です。この記事では、これからレイ・チャールズを聴きたいと思っている方へ向けて、名曲と経歴、名盤を紹介します。
現代ソウルミュージックの礎となったレイ・チャールズの音楽を感じてみましょう!
目次
レイ・チャールズってどんな人?
音楽活動名 | レイ・チャールズ |
本名 | レイ・チャールズ・ロビンソン |
生誕~死没 | 1930年9月23日~2004年6月10日 |
活動期間 | 1947年~2004年 |
国籍 | アメリカ |
偉大なミュージシャンには、大体異名がありますよね。レイ・チャールズの異名は、”Genius”(天才)です。日本では、盲目の天才ミュージシャンとも呼ばれます。
レイ・チャールズはなぜ盲目?
レイ・チャールズは、後天的に失明しています。縁内症で6歳頃から視力を失い始めて、最終的に全盲になりました。
レイ・チャールズは映画『ブルース・ブラザーズ』出演している
レイ・チャールズは、映画『ブルース・ブラザーズ』で楽器屋”Ray”の店主として出演しました。持ち曲の「Shake A Tail Feather」を披露しています。
映画全体にすると僅かな時間ですが、印象的なシーンです!『ブルース・ブラザーズ』には、他にも音楽界のレジェンドが登場します。ブラックジョークがある程度許せる方なら、おすすめです。
映画『ブルース・ブラザーズ』はつまらない?他作品にない魅力5つを解説>>映画『ブルース・ブラザーズ』はつまらない?他作品にない魅力5つを解説
レイ・チャールズの経歴
レイ・チャールズが残した代表的な功績は、以下の通りです。
- ソウルミュージックに多大な影響を与えた
- ローリングストーンズ誌「歴史上もっとも偉大な100人のシンガー」で第2位
- 代表曲「わが心のジョージア」はジョージア州の州歌になった
ここでは、偉大な功績を残したレイ・チャールズの経歴を紹介します。
レイ・チャールズの幼少期:6歳で弟と視力を失う
1930年9月23日、レイ・チャールズはアメリカ・ジョージア州アルバニーで誕生しました。6歳頃、洗濯の洗い桶で弟が溺死するのを目撃します。さらに、彼自身も縁内症で徐々に視力を失い始めて、7歳頃には完全に失明しました。
弟の死によるトラウマと盲目で大きなハンディを背負ったレイ・チャールズ。両親は、7歳になった彼をセント・オーガスティン盲学校に入学させます。
レイ・チャールズは、盲学校で音楽知識と演奏技術を学びました。点字による楽譜の読み書きやピアノ・アルトサックス・オルガン・クラリネット・トランペットも演奏できるように。子どもの頃のレイ・チャールズが夢中になったは、ショパンやシベリウスといったクラッシックの他にも、ジャズピアニストのアート・テイタム、ジャズクラリネット奏者のアーティ・ショウです。
そして、才能に溢れる幼いレイ・チャールズを見た『レット・ウイング・カフェ』の経営者ウイリー・ピットマンは、ピアノの道を勧めました。15歳頃、母の死をきっかけにプロミュージシャンの道を志します。レイ・チャールズは学校を中退して、全財産600ドルを持ってシアトルに移住します。
プロミュージシャンとしてシアトルでスタート
レイ・チャールズがプロミュージシャンとして、初めて参加したのはビックバンドでした。その後、小規模編成グループにも参加するように。レイ・チャールズはジャンルに分け隔てなく、貪欲に音楽も奏でました。クラシック、ジャズ、悲壮感のある曲からロマンティックな曲まで。光を失った彼にとって、音楽こそが真実でした。
この時、レイ・チャールズは15歳のクインシー・ジョーンズに出会ってます。17歳当時のレイ・チャールズについて、クインシー・ジョーンズはこのように語りました。
レイは、40歳の大人のようだった。17歳だったのに、女性の扱い方から人生に至るまでなんでも知っていた。
誰にも頼らない、完全に独立した男だった。
ミュージシャンとして着実にキャリアを重ねていましたが、この頃から薬物使用も始まります。
「レイ・チャールズ」としてデビュー
18歳頃(1948年)、レイ・チャールズ名義で「コンフェッション・ブルース」をダウンビート・レーベルからリリース。アトランティック・レコードに移籍するまでの4年間で、40曲以上発表します。翌年1949年には「コンフェッション・ブルース」がR&Bチャートで2位を記録。
まだ20歳前後のレイ・チャールズですが、この頃の音楽性には若さに似合わぬ落ち着きがあります。ナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンといった大御所アーティストにも引けを取らないような上品な雰囲気です。
年齢に合わない落ち着きがあったのは、苦労多き人生を歩んできたからかもしれません
アトランティック・レコード~ABCレコード
1952年、20代前半のレイ・チャールズは、アトランティック・レコードと契約します。
1959年の「What’d I Say」は、教会音楽ゴスペルと娯楽音楽R&Bの融合が感じられる曲です。そのため信心深いクリスチャンから非難されますが、ビルボードpop100で6位を記録します。
レイ・チャールズは引き続き、あらゆるジャンル(ジャズ・スウィング・ブルース・ゴスペルなど)を取り込んで独自に昇華させました。
1959年にABCレコードへ移籍します。1961年にミリオンセラーを記録した代表曲「我が心のジョージア」を発表。その後も「Hit The Road Jack(邦題:旅立てジャック)」「ワン・ミント・ジュレップ」「愛さずにはいられない」「アンチェイン・マイ・ハート 」といった名曲を続々と誕生させます。
レイ・チャールズは盲目だけど車好きだった?
ABCレコードへの移籍を機に、レイ・チャールズの財力が増します。当時の彼は、年間300本ものライブをこなしながら、レコーディングも行ってました。街から街への移動には、オールズモビル・メルセデスベンツ・フォルクスワーゲン・キャデラックなどの高級車を乗るように。盲目でありながらも、レイ・チャールズはかなりの車好きでした。
晩年期:影響力のあるミュージシャンとして
1960年代後半から、新曲リリースが控えめになります。しかし、偉大な功績が評価され続けました。
1979年、ジョージア州の州歌として「我が心のジョージア」が定められます。1980年には楽器屋Rayの店主として、映画『ブルース・ブラザーズ』に出演。圧倒的な存在が表現されました。
2004年には、レイ・チャールズの生涯を描いた伝記映画『Ray/レイ』が公開。映画制作中には、主演のジェイミー・フォックスへ演技指導を行いました。しかし、レイ・チャールズは映画の公開前に肝臓がんで亡くなります。
完成された映画を観られませんでしたが、レイ・チャールズを尊敬するアーティストたちによる壮大な音楽葬が行われました。
17歳頃に1人全財産を握りしめてシアトルにやってきたレイ・チャールズは、優れた音楽的センスで生涯に多くの人に影響を与えました。
彼が残した音楽は、現在も色褪せません。
レイ・チャールズの名曲5曲を厳選紹介
レイ・チャールズはソウルミュージック創設者の1人ですが、ゴスペルやブルースの他にも多様な音楽性が感じられるのが魅力です。ここからは、天才ぶりを感じられる名曲をご紹介します。
我が心のジョージア(1960年)
「我が心のジョージア」は、ジョージア州の正式な州歌となっています。レイ・チャールズの生まれは、ジョージア州。7歳になる頃に失明していた彼が記憶する風景は、ジョージアの景色かもしれません。
クラシカルな雰囲気とレイ・チャールズの深い歌声が素晴らしい曲です。また、この曲で初めてチャート1位を獲得しています。名実ともに成功を収めた曲です。
Hit The Road Jack(邦題:旅立てジャック)(1961年)
「Hit The Road Jack(邦題:旅立てジャック」もチャート1位を記録しました。ジャジーでリズミカルな雰囲気が癖になります。レイ・チャールズとコーラスガールのコールアンドレスポンスが楽しい曲です。ろくでなしの男と男にブチ切れる女性という歌詞です。
臨場感あるライブ盤をぜひ聴いてほしいです!
愛さずにはいられない(1962年)
「愛さずにはいられない」も、チャート1位を記録しました。カントリーシンガーで有名なドン・ギブソンの代表曲をカバーしています。レイ・チャールズが歌えば、往年の名曲も独特の味わいに。貪欲にさまざまな音楽を追求したからこそ、その時々の表現力が輝きます。
Hallelujah, I Love Her So(1956年)
「Hallelujah, I Love Her So」は、明るい雰囲気が全開の曲です。曲調の明るさに加えて、ポジティブな歌詞が載せられています。ポップス感のある曲ですが、ジャズやロックンロール、R&B、カントリーなど、さまざまな要素が感じられる曲です。
Seven Spanish Angels(1984年)
「Seven Spanish Angels」では、カントリーのレジェンドであるウィリー・ネルソンとデュエットしています。Seven Spanish Angelsもまた、チャート1位を獲得。スローテンポで美しい曲です。レイ・チャールズとウィリー・ネルソンも、曲の雰囲気に合う優しい声で歌ってます。
レイ・チャールズの名盤は?
レイ・チャールズは10代でデビューしていますので、音楽活動期間は約60年ほどです。そのため、世に送った音源は膨大です。ここでは、レイ・チャールズの名盤を紹介します。
What’d I Say(1959年)
まず紹介したいのが『What’d I Say』です。このアルバムでレイ・チャールズが人気ミュージシャンの仲間入りを果たしました。
- ホワッド・アイ・セイ(パート1&2)
- ジャンピン・イン・ザ・モーニン
- ユー・ビー・マイ・ベイビー
- テル・ミー・ハウ・ドゥ・ユー・フィール
- ホワット・カインド・オブ・マン・アー・ユー
- ロックハウス(パート1&2)
- ロール・ウィズ・マイ・ベイビー
- テル・オール・ザ・ワールド・アバウト・ユー
- マイ・ボニー
- ザッツ・イナフ
ヴェリー・ベスト・オブ・レイ・チャールズ(2017年)
レイ・チャールズの代表曲を網羅できるベストアルバムもおすすめです。このアルバムで名曲が網羅できます。
- 我が心のジョージア
- アンチェイン・マイ・ハート
- ホワッド・アイ・セイ(パート1&2)
- ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー
- ヒット・ザ・ロード・ジャック
- アイヴ・ガット・ア・ウーマン
- ア・フール・フォー・ユー
- こぼれる涙
- ザ・ライト・タイム
- スティックス&ストーンズ
- ワン・ミント・ジューレップ
- 愛さずにはいられない
- ユー・アー・マイ・サンシャイン
- バステッド
- レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド
- セヴン・スパニッシュ・エンジェルズ(withウィリー・ネルソン)
まとめ:レイ・チャールズの天才的な感性を感じてみよう!
この記事では、レイ・チャールズの経歴と合わせて名曲と名盤を紹介しました。音楽ジャンルにも人種による分け隔てがあった頃から、ジャンルに分け隔てなく音楽を追求していたレイ・チャールズ。ぜひ、レイ・チャールズ独特の音楽に触れてみてください!
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