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「アレサ・フランクリンの名曲は?」生涯とともに紹介!

アレサ・フランクリンの名曲が知りたい!

アレサ・フランクリンは、ソウルの女王として多くの名曲を遺した伝説のシンガー。凄まじい歌唱力と表現力で、多くの功績を残しました。多くの人に響く音楽を残したのは、一筋縄ではいかない人生を歩んでいたからかもしれません。

この記事では、アレサ・フランクリン生涯を彼女の名曲名盤を紹介します。彼女の生涯を知れば、名曲の味わい深さがさらに増しますよ!

アレサ・フランクリンの概要

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音楽活動名アレサ・フランクリン
本名アレサ・ルイーズ・フランクリン
生誕~死没1942年3月25日~2018年8月16日
活動期間1956~2018年
国籍アメリカ

アレサ・フランクリンは「ソウルの女王」の異名を持つソウルミュージック歌手です。残念ながら2018年8月に膵臓がんで亡くなってしまいましたが、圧倒的な存在感はいまも色褪せません。

アレサ・フランクリンは映画『ブルース・ブラザーズ』にも出演している

アレサ・フランクリンは、1980年に公開された映画『ブルース・ブラザーズ』に出演しています。『ブルース・ブラザーズ』は、コメディ色の強いミュージカル映画です。アレサ・フランクリンが演じたのは、ダイナーを営む夫婦の奥さん。出演シーンでは、初期のヒット曲「Think」を披露しています。突然Thinkが始まりますが、それまでの流れとThinkの歌詞が絶妙に合っているコミカルなシーンです!

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アレサ・フランクリンの代表的な功績

アレサ・フランクリンの功績を3つに厳選しました。

  1. グラミー賞を合計18回も受賞
  2. 1987年に女性アーティスト初の「ロックの殿堂入り」
  3. 1999年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で1位を獲得

抜群の歌唱力だけでなく、人の心を打つ音楽的表現力も備えていたアレサ・フランクリン。華やかな成功とは裏腹に、彼女の人生は壮絶でした。映画『リスペクト』では、彼女がいかに波乱万丈な生涯を送っていたかが描かれています。

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アレサ・フランクリンの生涯

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ここからは、アレサ・フランクリンの生涯時期ごとの名曲と名盤を紹介します。

幼少期~音楽的な才能はこの頃から

1942年、アレサ・フランクリンはアメリカテネシー州メンフィスで誕生します。父親はクラレンス・ラヴォーン・フランクリン、母親はバーバラ・シガーズ・フランクリン。父親のクラレンスは地元でも有名な牧師でありシンガー、また母親のバーバラも才能に溢れたゴスペル歌手でした。幼少期に両親は離婚して、父親のもとで育ちます。

12歳頃には説教師の父とともに各地を回り、アレサ・フランクリンはゴスペルを歌ってました。既にズバ抜けた歌唱力を持つ天才少女として有名でした。

ゴスペルとはどんな歌?

もともとは、教会に集まる黒人たちによって歌われていました。歌詞から感じられるのは、明るさや自由、ポジティブな雰囲気です。

人種差別による過酷な境遇下でも、仲間と力を合わせて強く生きる様子が表現されています。現在は、国籍や人種問わず誰もが楽しめる歌です。

アレサ・フランクリンは歌だけでなく、ピアノも天才的でした。1度聴いた曲は楽譜がなくても演奏できます。10歳で最愛の母を亡くしますが、心の傷を癒したのは音楽でした。

12歳で初出産・15歳で別の相手との子どもを出産

アレサ・フランクリンは12歳で初産を経験します。15歳では、さらに別の相手との子どもを出産。アレサ・フランクリン自身が臨んだわけではなく、性的虐待による妊娠でした。10代で未婚の母となります。

18歳でコロムビア・レコードからデビュー

1960年頃、ゴスペルで磨き上げた歌唱力でコロムビア・レコードで歌手としてデビューします。R&B歌手としてキャリアがスタートしました。しかし、音楽的な才能が商業的な結果として活かせず、伸び悩みます。

プライベートでは、19歳頃に当時のマネージャーだったテッド・ホワイトと結婚。3人目の子どもも誕生しましたが、幸せは長続きしませんでした。夫からの暴力によって、結婚生活は数年で破綻します。

アレサ・フランクリンの子どもたち

アレサ・フランクリンには4人の子どもがいますが、全員父親が異なります。

アレサ・フランクリンはかなり若い頃からアルコール依存症でしたが、荒れた結婚生活が原因でさらに悪化。

アトランティック・レコード時代~スター歌手へ

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1966年、アトランティック・レコードに移籍します。移籍後にリリースしたアルバム『I Never Loved A Man The Way I Love You』が大ヒット。チャート1位を記録します。

この頃に、オーティス・レディングのカバー「Respect」や「Chain Of Fools」「Think」など、多くの代表曲が誕生しました。スター歌手の仲間いりを果たします。1967年~1974年でR&Bのトップ10に33回もランクイン。グラミー賞の最優秀R&Bヴォーカルパフォーマンス部門を8年連続で受賞します。1960年代後半~1970年代前半は、日本のラジオでもアレサ・フランクリンの曲が流れるほど。影響力は世界中に及びました。

商業的な成功を収めただけでなく、楽曲が多くの心に突き刺さったのもポイントです。「Respect」や「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」は、公民権運動や女性解放運動にも影響を与えました。また、楽曲のメッセージ性だけでなく、彼女自身も公民権運動や女性解放運動に関わります。

アトランティック・レコード時代の名曲
  • Respect(1967年)
  • Chain of Fools(1967年)
  • (You Make Me Feel Like) A Natural Woman(1967年)
  • I Say A Little Prayer:小さな願い(1968年)
  • Spanish Harlem(1970年)
アトランティック・レコード時代の名盤
  • 『I Never Loved A Man The Way I Love You』(1967年)
  • 『Lady Soul』(1968年)
  • 『Aretha Live at Fillmore West』(1971年)
  • 『Amazing Grace』(1972年)

アレサ・フランクリンは生涯で2度の結婚と離婚、晩年に1度の婚約を経験します。2回の結婚生活は夫の暴力などが原因でうまくいかなかったようですが、子どもたちを愛していました。1974年ローリングストーン誌とインタビューで「幸せを感じさせてくれるものは?」と聞かれた彼女は「子供たち」と答えています。続けて「パーティでごちそうをたっぷり作ること。」とも。ステージでは煌びやかな彼女ですが、家庭的な女性という一面も持ってました。

人気低迷期~再熱したアリスタ・レコード時代

1970年代後半から徐々に低迷期を迎えます。そして、1980年にアトランティック・レコードからアリスタレコードに移籍。1982年にリリースした「Jump To It」で、再びR&Bチャート1位を獲得します。人気歌手として返り咲くだけでなく、ソウルの女王として不動の地位を確立。

アリスタ・レコードでのアレサ・フランクリンは、ダンスミュージックや電子音楽など時代のニーズに応える音楽性を感じさせます。優れた歌唱力だけでなく、さまざまなジャンルを取り込みながらも自身のメッセージ性を表現する実力を両立。

ジョージ・マイケルやエルトン・ジョン、ホイットニー・ヒューストンなど、自身に影響を受けたアーティストとのコラボレーションから自身のセールスも生み出します。

アリスタ・レコード時代の名曲
  • Jump To It(1982年)
  • Freeway of Love(1985年)
  • I Knew You Were Waiting (For Me)(1987年)
アリスタ・レコード時代の名盤
  • 『One Lord, One Faith, One Baptism』(1987年)
  • 『So Damn Happy』(2003年)

順風満帆な成功を収める一方で、私生活では父との死別を経験します。1979年、クラレンス・ラヴォーン・フランクリン牧師は、自宅で強盗に襲われました。5年の昏睡状態を経て、息を引き取ります。

闘病生活の晩年期

2000年代後半から、アレサ・フランクリンは体調を崩しがちになりました。2003年にリリースしたアルバム『So Damn Happy』で引退を表明します。しかし、すぐに撤回してライブ活動に励みました。

2005年には、アメリカで最高位の勲章である大統領自由勲章を受章します。2009年にはオバマ大統領の就任式で愛国歌「My Country, ‘Tis of Thee」を熱唱しました。

そして、2010年以降はがんで闘病生活を送ります。2017年に健康上の問題から再び引退を表明しました。長い闘病生活の末、2018年8月16日に膵臓がんで自宅で世を去ります。

アレサ・フランクリンの魅力

出典:映画.com

ここから紹介するのは、アレサ・フランクリンの魅力です。

アレサ・フランクリンの魅力は、抜群の歌唱力強いメッセージ性。アレサ・フランクリンの生涯には多くの困難が立ちはだかりました。しかし、いつも音楽が彼女の救いでした。困難を経験しながらも歌手として成功を収めた彼女だからこそ、強烈なメッセージ性があります。

「ソウルにさせる」歌唱力

アレサ・フランクリンが歌えば、どんな曲もソウルフルな名曲になります。「恋愛を歌う曲も、アレサが歌えば人類愛を歌ったような壮大な曲になる」とも。

具体例は、サイモン&ガーファンクルの「Bridge over Troubled Water(邦題:明日に架ける橋)」のカバーです。ゴスペルソングにアレンジしたアレサ・フランクリンver.は、南アフリカ共和国に伝わって讃美歌として普及。1970年代、アパルトヘイトで苦しんでいた南アフリカ共和国の心を掴みました。

アレサ・フランクリンver.のBridge over Troubled Waterは、グラミー賞Best Female R&B Vocal Performanceを受賞しています。

本能で奏でるピアノ

ご存じの方も多いかもしれませんが、音楽は意外に理屈っぽい部分があります。楽譜の読み方やスケールなどは、特に論理的な思考が必要です。しかし、アレサ・フランクリンは一度聴けば楽譜がなくてもピアノで再現できました。歌うように、ピアノで表現ができたのです。

激動の人生で培われた表現力

アレサ・フランクリンは素晴らしい成功を残した一方で、苦難に満ちた人生でした。彼女の生涯は、音楽なくしては語れません。

「Respect」は、すべての人が求める敬意(リスペクト)が表現されました。支配的な父や暴力的な夫などアレサ・フランクリンが抱える苦難を表現したとも捉えられますが、相手からのリスペクトは誰もが望んでいます。

持ち曲のなかでも「Respect」が特に好きだったアレサ・フランクリン。2016年に「Respect」を振り返って、このように説明しました。

「あの曲で語られるメッセージはとくに重要。自分にとって重要なら、他の人にも重要なはずよ。タイムカプセルにどの曲を入れるか聞かれたら、間違いなくリスペクトね。人々は必ずリスペクトを必要としているから。たとえ小さな子どもでも赤ん坊でも。人間として、誰もが相手からリスペクトされる権利を持っているのよ」

参考資料:Rolling Stone Japan「女性解放運動、波乱続きの私生活、アレサ・フランクリンの生涯を振り返る

まとめ:アレサ・フランクリンが残した名曲を聴いて力強い生命力を感じてみよう!

出典:映画.com

この記事では、アレサ・フランクリンの生涯と合わせて、名曲名盤を紹介しました。

アトランティック・レコード時代の名曲
  • Respect(1967年)
  • Chain of Fools(1967年)
  • (You Make Me Feel Like) A Natural Woman(1967年)
  • I Say A Little Prayer:小さな願い(1968年)
  • Spanish Harlem(1970年)
アトランティック・レコード時代の名盤
  • 『I Never Loved A Man The Way I Love You』(1967年)
  • 『Lady Soul』(1968年)
  • 『Aretha Live at Fillmore West』(1971年)
  • 『Amazing Grace』(1972年)
アリスタ・レコード時代の名曲
  • Jump To It(1982年)
  • Freeway of Love(1985年)
  • I Knew You Were Waiting (For Me)(1987年)
アリスタ・レコード時代の名盤
  • 『One Lord, One Faith, One Baptism』(1987年)
  • 『So Damn Happy』(2003年)

ぜひ、アレサ・フランクリンが残した強い影響力を持つ楽曲たちを聴いてみてください。困難な人生を力強く生きる強い推進力が感じられますよ!

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