MR.BIGのパット・トーピーって上手いよね!
パット・トーピーは、MR.BIGのドラマーとして活躍した人物。そしてMR.BIGは、日本で絶大な人気を博したロックバンドです。この記事ではパットを心からリスペクトする筆者が、彼の上手いドラムプレイとドラムプレイ以外の魅力についても解説します。
パットがいなければ、いまのMR.BIGはなかったはず!
目次
パット・トーピーってどんな人?
音楽活動名 | Pat Torpey |
本名 | Patrick Allan Torpey |
生誕~死没 | 1953年12月13日~2018年2月7日 |
活動期間 | 1980年~2018年 |
国籍 | アメリカ |
パット・トーピーは、MR.BIGの創設時から在籍していたオリジナルメンバーです。MR.BIGはメンバー全員が歌い、コーラスをします。ドラマーのパット・トーピーもコーラスをしました。もちろん、凄まじいドラムプレイをしながら、です!
パット・トーピーの経歴
パット・トーピーは「ミスターパーフェクト」です!
ほ、ほう?それは興味深い!
ここでは、パット・トーピーの経歴を紹介します。
パット・トーピーの子ども時代
パット・トーピーは、1953年12月13日にアメリカのオハイオ州レイク郡ペインズヴィルに生まれます。
ロックの都市であるクリーヴランドで育ったパットは、8歳頃には「自分はドラマーになる」と心に決めました。パット少年がドラマーを志すきっかけとなったのは、たまたま目撃したバンドの演奏に圧倒されたことでした。ドラムの力強さにパット少年は感銘を受けます。
パット少年の行動は素早く、母親にすぐさま「僕はドラマーになりたい」と宣言。庭の木の枝でお手製ドラムスティックを制作し、のちに母親に練習用のパッドとスネアドラムを買ってもらいます。
ここからさらに凄腕ドラマーの片鱗が見え始めます!
小学校を卒業する頃、パットは初めて人前でドラムを演奏をします。初ステージながらも力強い演奏をして、学校イベントの観客を盛り上げました。さらに、演奏を見に来ていた母親に「あなたにドラムセットを買ってあげる」と言ってもらえました。
パットは地元でいくつかのバンドでドラムをプレイし、ハイスクールを卒業する頃にはクラブバンドの一員としてツアーに出るほどのドラマーになってました。
ハイスクールを卒表したあとは大学に進学する予定でしたが、パットは母親を説得して大学で建築の専攻に進むのを1年遅らせてもらいます。
パット・トーピーがMR.BIGに加入するまで
社会人になったパットは建築現場で朝4時から仕事を開始するハードな仕事をこなしながら、音楽活動を継続。そして、新しいドラムセットと車を購入します。
社会人になってから購入したドラムセットは、パットが最も影響を受けた人物であるレッド・ツェッぺリンのドラマーのジョン・ボーナムが使用していたLudwigと同じサイズでした。
パットは、数多くのバンドやミュージシャンのバックでドラムをプレイしますが「いつかオリジナルバンドのドラマーになりたい」という思いを胸に秘めてました。
そんなパットに転機が訪れたのは1988年。
ベーシストのビリー・シーンから連絡が入ります。「明日、スタジオに来れるか? エリックとポールも参加している。俺たちでバンドを組むつもりだ」と。パットはスタジオ、ビリーとエリック、ポールと対面し、セッションを開始します。
エリック・マーティンの歌唱力とギタリストのポール・ギルバートの美しいギターの音色、ビリー・シーンのテクニックに感動したパットは「彼らは最高だ。自分もこのバンドに参加したい」と感じました。
そうしてパットは、1988年にビリーが始めたバンドに正式加入。パットはバンド名がまだなかったビリーが始めたバンドに「MR.BIG」という名前を発案します。MR.BIGが誕生した瞬間でした。
オリジナル曲があると聴かされたパットは、1週間後にオリジナル曲をレコーディングしてMR.BIGは正式に活動を開始します。
MR.BIGでの活動~再結成まで
念願だったオリジナルバンドのMR.BIGで、パットの快進撃がスタートします。
1989年 | ファーストアルバム『MR.BIG』でデビュー。初来日公演も果たす。 |
1991年 | セカンドアルバム『LEAN INTO IT』をリリース。 『LEAN INTO IT』には全米No.1シングルとなる「To Be With You」やライブでの定番曲になった「Daddy,Brother,Lover,Little,Boy」や「Green-Tinted Sixties Mind」「Alive And Kickin‘」「Jest Take My Heart」などが収録されています。 |
1993年 | サードアルバム『BUMP AHEAD』をリリース。 |
1994年 | 初の日本武道館公演を果たす。 |
1996年 | 4枚目のアルバム『HEY MAN』をリリース。 |
1998年 | パットの初ソロアルバム『Odd Man Out』を発表。 ビリー・シーン、ポール・ギルバート、元ドリーム・シアターのキーボーディストのデレク・シェリニアンがゲストとして参加。全曲のボーカルおよび、ほとんどの曲のドラムをパットが担当してます。 |
1999年 | B’zのアルバム『Brotherhood』収録曲の「ギリギリchop(Version51)」にベーシストのビリー・シーンとともに参加。テレビ番組『ミュージックステーション』にも出演します。 |
2001年 | 6作目のアルバム『ACTUAL SIZE』をリリース。 ビリーがMR.BIGを解雇された発表。 |
2002年の〜Farewell Tour〜の日本公演を最後にMR.BIGは解散してしまいます。しかし、2009年にMR.BIGが再結成され、復活を果たします。
再結成してすぐリマスター・バージョンを含むベスト・アルバム『Next Time Around – Best Of MR.Big』リリース。さらに「Next Time Around 2009 Tour」が日本で決行され10公演全てがソールド・アウトとなるなど、凄まじい人気振りでした。
2010年12月にオリジナル・メンバーでは約15年ぶりとなるスタジオアルバム『WHAT IF…』がリリースされます。
パット・トーピーの晩年期と早すぎる逝去
順調にMR.BIGの再スタートを切ったパットでしたが、2014年3月6日にパーキンソン病が発覚。同年7月23日にパーキンソン病を患っている事を公式に発表します。
The Stories We Could Tellツアーが開催されましたが、パーキンソン病の影響で本来のプレイが出来ずサポート・ドラマーとしてマット・スターが参加しました。パットはこのツアーでパーカッションとコーラスで参加し、「Just Take My Heart」、「Fragile」、「MR.Big」の3曲のみドラムを披露しました。
2017年9月にMR.BIGのツアーに同行し来日したパットですが、前回よりも病状が悪化してしまっていたため、ドラムプレイは「Just Take My Heart」の1曲のみとなりました。日本公演は10月5日BLUE LIVE広島が最後でした。
2018年2月7日にパーキンソン病の合併症によりパットが逝去してしまいます。64歳という早すぎる旅立ちに、ビリー・シーンも「30年来の親友が亡くなりました」とコメントを残しました。
パット・トーピーのドラムプレイの特徴
パットの生み出すドラミングはパワフルでありながら、とても精密。バンドをけん引するドラムとして正確さやテクニックさを備えながらも、心を打つダイナミックなドラムプレイが特徴です。
テクニックは、ダブル・ストロークやゴーストノート、パラディドルの使い方が独創的なことが特徴。
MR.BIGの有名曲「Addicted To The Rush」のイントロ部分では、16ビートのハイハットから32ビートの高速ハイハットストークを繰り出し、スタンダードなプレイでありながら繊細なグルーヴでMR.BIGを支えています。
パットは、その他のバスドラムやハイハットワークの技術の高さも注目したい部分です。
高速なダブルキックやパラディドルを使いこなします。パットはMR.BIGの初期はバスドラムを2個使ったツーバス仕様でしたが、途中からバスドラム1個のツインペダルに変更しています。
そしてパットはMR.BIGではコーラスもしています。
ドラマーが歌うことは珍しくはありませんが、パットはほとんどの楽曲でコーラスをしています。コーラスについてパットは、ハイスクール時代に「ドラムを演奏しながら歌えた方が他のドラマーと差別化できるだろ?」と言われたことがきっかけだそうです。
パット・トーピーのドラムプレイが堪能できるおすすめの曲
ここでは筆者おすすめのMR.BIGの曲を紹介します。名曲の多いMR.BIGですが、特にパットのドラミングが楽しめる曲を選びました。
Take Cover
ドラムから始まるイントロですが、このドラムの組み立て方が本当に素晴らしいです。
バスドラムとフロアタムのコンビネーションで繰り出される16分ですが、パットはさらにハイハットで8分を刻み、さらにコーラスもしているため、訳がわからなくなるほどのテクニックの高さ。
Take Coverは、1996年に発表された「HEY MAN」に収録されています。
Colorado Bulldog
「Colorado Bulldog」は、MR.BIGの疾走ナンバーのひとつ。イントロから凄まじいドラムプレイが披露されます。
高速のツーバス・シャッフルビートから、ジャズのようなスネアのリムを使ったフレーズまでパットの技の結晶が堪能できます。
「Colorado Bulldog」は、1993年に発表された『BUMP AHEAD』に収録されています。
Promise Her The Moon
「Promise Her The Moon」はMR.BIGのバラード曲です。とてもシンプルであっさりした感じのビートに聞こえますが、パットは左手でハイハットを刻み、右手ではライドシンバルとタムタムのリムを叩いて、さらにスネアドラムと同時にタンバリンも叩いています。パットの繊細な技に注目したい曲です。
「Promise Her The Moon」は、1993年に発表された『BUMP AHEAD』に収録されています。
パット・トーピーはどんな人だった?
パットは、まごうことなき天才的なドラマー。そして人間としても素晴らしい人格を持っていました。なぜなら、パットと近い距離にいたMR.BIGメンバーが彼への熱い思いを語っているからです。
ここでは、MR.BIGメンバーのパット・トーピーへの想いを紹介します。
エリック・マーティン(ボーカル)のコメント
僕にとってパットはバンドの父親的存在だった。僕とビリーはよくぶつかる事が多かったけど、パットはいつも間に入ってまとめてくれた。彼がいたからMR.BIGはここまでやれることができた。
参考文献:METALION Vol.63
ビリー・シーン(ベース)のコメント
パットは力加減が絶妙で完璧だった。俺がMR.BIGで求めていた要素をすべて兼ね備えていた。ドラムソロでは一般的には速さを追及したり派手に叩きまくるのが普通だが、唯一誰もやらなかったのが叩きながら歌うこと(笑)ミュージシャンだけでなく、一般のオーディエンスのことも考えていた。しかも歌っているときのドラムが超複雑で、MR.BIGの曲も超高速のテクニカルの曲もあれば、一般受けするバラード曲もある。すべての人を楽しませたいというバンドの思想をパットは表現していた。最高だよ。
参考文献:METALION Vol.63
パットは奥さんには常に誠実で、息子を心から愛した。誰よりもメンバーを思い、ドラマーとしても、父親としても優れていた。欠点を探そうとしても見つからない。しかもハンサムで優しい。そんな人間は他には見つからないよ。
参考文献:METALION Vol.63
ポール・ギルバート(ギター)のコメント
あるTVのCMで(第一印象に二度のチャンスはない。)これはまさにパット・トーピーのことだ。パットの第一印象は最高だ。とても穏やかな口調で、自分を売り込むわけでもなく最初にスネアをチューニングして叩いた瞬間に皆と目を合わせてこの人だ!って思った。パットは曲が必要としている要素を瞬時に察して対応できるんだ。これは口で言うほど簡単なことではない。腕が良ければよいほど見せびらかしたくなるが、パットはドラマーとしての役割に徹していた。派手なプレイでも、シンプルなグルーヴィーな演奏も難なくこなせた。そのうえ歌も上手くて、歌詞もかけて、何事に対しても協力的でパーフェクトなミュージシャンだけでなく貴重なチーム・プレイヤーだった。
参考文献:METALION Vol.63
パット・トーピーはドラムの上手さだけでなくミスターパーフェクトなことも魅力!
パットは、音楽だけでなく対峙する人にも誠実に向き合っていました。
フロントマン全員が主役のMR.BIGを支える事ができたのは、パット・トーピー以外には難しかったのではないでしょうか。本当に、パット・トーピーの魅力は語り尽くせません。
紳士で努力家のパットが残した功績は余りにも偉大。筆者は、心からリスペクトしています。ぜひ、パット・トーピーの音楽に触れてみてください。