Slipknotのジョーイ・ジョーディソンってどう凄いの?
メタル音楽も関わる人やドラムをやっている人なら、ジョーイ・ジョーディソンの名前を一度は聞いたことがあるはずです。ジョーイ・ジョーディソンはSlipKnotの創立メンバーであり、1人のドラマーとしても圧倒的な存在感を放っていました。2021年に亡くなってしまいましたが、その凄さは今後も色褪せないでしょう。
この記事では、ジョーイ・ジョーディソンをリスペクトしているメタルドラマーの筆者がジョーイ・ジョーディソンの凄さを紹介します。経歴やジョーイ・ジョーディソン作曲の名曲も紹介しますので、唯一無二の世界観に触れてみてください!
目次
ジョーイ・ジョーディソンってどんな人?
音楽活動名 | ジョーイ・ジョーディソン |
本名 | ネイサン・ジョナス・ジョーディソン |
生誕~死没 | 1975年4月26日~2021年7月26日 |
活動期間 | 1995年~2021年 |
国籍 | アメリカ |
ジョーイ・ジョーディソンは、SlipKnotの創立メンバーです。ドラマーとして有名ですが、SlipKnotの楽曲制作も行っていました。
SlipKnotってどんなバンド?
SlipKnot(スリップノット)は、アメリカ・アイオワ州デモインで誕生したヘヴィメタル・バンドです。主軸はヘヴィメタルですが、音楽性は極めて多様。
メンバー全員がハンドメイドのマスクを被って、ライブパフォーマンスを行っています。アメリカではもちろん、日本でも爆発的な人気を獲得。グラミー賞のメタル・パフォーマンス賞を受賞しました。
2022年現在も精力的に活動しています。2023年4月に、KNOTFEST JAPANで来日予定です。
ジョーイ・ジョーディソンはSlipKnotで楽曲制作をしていた
ジョーイ・ジョーディソンは、SlipKnotの初期〜中期の楽曲をポール・グレイ(SlipKnotのベース)とともに作曲を担当していました。
SlipKnotがヘヴィーさと多様な音楽性を感じる独特な音楽を創造できたのは、ジョーイ・ジョーディソンが作曲していたからこそといっても過言ではありません。
ジョーイ・ジョーディソンの経歴
ここからは、ジョーイ・ジョーディソンの経歴を紹介します。実は、ジョーイ・ジョーディソンの経歴ってあまり世に出回っていません。出回っている少ない情報をまとめました。
ジョーイ・ジョーディソンの子ども時代
ジョーイ・ジョーディソンは1975年4月26日、アイオワ州デモインで誕生しました。両親も音楽好きだったようで、幼少期はラジオで音楽を聴いていました。
小学生に入ってからギターを買い与えてもらい、さらに夢中に。8歳でドラムセットをプレゼントしてもらいました。
時期は未定ですが、音楽に夢中になってからジャズ・スクールに通っていたそうです。ジョーイ・ジョーディソンの音楽にデスメタル以外にファンクやジャズも感じられるのは、ジャズも学んだことが影響しています。
実際に、自身が影響を受けたドラマーを聞かれた際には、キース・ムーンやジョン・ボーナムといったロックを代表する名ドラマーの他にも、ジーン・クルーパやバディ・リッチといったジャズドラマーの名前も挙げています。
「Modifidious」を結成
ジョーイ・ジョーディソンは、高校在学時から音楽活動を行っていました。多くの人気ドラマーと同じように、いくつかのバンドでサポートメンバーを務めます。
高校を卒業したジョーイ・ジョーディソンは地元の楽器屋さんで働いていましたが、最終的に石油会社に就職しました。会社勤めと音楽活動を並行して行います。
自身で結成したバンドとして、記録されているのはスラッシュメタルバンドの「Modifidious」です。スラッシュメタルよりもデスメタルに興味が湧いたために1995年にバンドは解散します。
1995年にSlipKnot加入
1995年、SlipKnotの全身となる「The Pale Ones」に加入しました。その後、The Pale Onesはジョーイ・ジョーディソンの提案でバンド名をSlipKnotに改名。SlipKnotは何度かメンバーチェンジを繰り返しながら、インディーズとして活動を続けます。
転機が訪れたのは、1999年にメジャー1stアルバム『SLIPKNOT』の発表でした。当時の敏腕音楽プロデューサーで有名だったロス・ロビンソンの目に留まり、I Am Recordsと契約。アルバム『SLIPKNOT』はヘヴィーメタル系バンドが多く輩出したロードランナー・レコードから発表されました。
SlipKnotの破壊的で攻撃的なサウンドは、誰にでも好まれる音楽ではありません。しかし、『SLIPKNOT』は全米で200万枚を売り上げます。日本でも爆発的な人気を獲得したSlipKnotは、翌年2000年に来日公演を行っています。
2000年に突入する頃には、世界的な人気バンドとして絶大な人気を獲得しました。ジョーイ・ジョーディソンもSlipKnotの人気ドラマーとバンドの楽曲制作も担う忙しい日々を送ります。
2013年12月にSlipKnotを脱退
ジョーイ・ジョーディソンは、2013年12月にSlipKnotを脱退しました。ジョーイ・ジョーディソン本人よりも先にSlipKnot公式サイトで脱退を発表され、ジョーイ・ジョーディソンは当初脱退を否定します。
2016年のインタビューで脱退当時、横断性脊髄炎を患ってドラムを叩けなくなっていたと明かしました。脱退当時はSlipKnot側も知らなかったらしく、ドラッグをやっていると勘違いされ、不本意な脱退に至ったそうです。
その後、意欲的にリハビリをこなします。そして、新たに「Scar The Martyr」「VIMIC」を自身で結成しました。
2021年7月に急逝
ジョーイ・ジョーディソンは2021年7月26日、睡眠中に亡くなりました。死因は明らかにされていません。46歳の若さでした。
ジョーイ・ジョーディソンの凄さ
ジョーイ・ジョーディソンは、世界的に人気の高いドラマーです。多くの人が心惹かれる理由は「凄いから」。では、どのように凄いのでしょうか?ここでは、ジョーイ・ジョーディソンの凄さを具体的に紹介します。
見る者を圧倒するパフォーマンス
SlipKnotのドラムソロで空中1回転を披露しています。ドラムを叩くジョーイ・ジョーディソン自身はもちろん、ドラムセットも固定しなければできません。
万一落ちれば危険なうえに、かなり演奏し辛い環境です。それでも、ジョーイ・ジョーディソンはオリジナリティの追求にも余念がありませんでした。
ドラム以外の楽器も演奏するマルチプレイヤー
ジョーイ・ジョーディソンは、Murderdollsではギターを演奏しています。レコーディングのために、ベースを演奏しました。上記の動画では、ガットギターを披露しています。さまざまな楽器を演奏できるマルチプレイヤーです。
テクニカルでメロディアスなドラムプレイ
ジョーイ・ジョーディソンは、最も影響力のあるドラマーの1人です。「メタリカ」「コーン」「システム・オブ・ア・ダウン」など、有名バンドのサポートドラムを務めました。知名度はもちろん、高い実力を備えているからこそです。
ジョーイ・ジョーディソンのドラムプレイの特徴
ジョーイ・ジョーディソンのドラムプレイは「グルーヴィー」です。ドラマーはバンドサウンド全体のリズムを背負っているため、一定のリズムを刻み続けなければなりません。
しかし、ジョーイ・ジョーディソンは楽曲の良さを際立たせるためならセオリーを平然と破壊。ブレイク直後のテンポチェンジで、より速いリズムを刻むことでSlipKnotのスリリングな世界観を強調しています。
もちろん、意図的です。逸脱したプレイを行う一方で、高速でも安定したドラムプレイを披露。尋常でない高いテクニックを有するからこそ、意図的なアバンギャルドさも際立ちます。
ジョーイ・ジョーディソンのおすすめ曲
最後に、ジョーイ・ジョーディソン作曲のおすすめ曲を紹介します。
People = Shit
この世のすべてを破壊しつくすようなイントロから、ブラストビートと高速ツーバスが炸裂。特にリズムの揺れが激しい曲です。全体を通して、ジョーイ・ジョーディソンの激烈なドラミングが堪能できます。
(SIC)
(SIC)は、ライブでも定番の曲です。数ある楽曲のなかでも、特に展開の起伏が激しさが際立ちます。Slipknotのファーストアルバム『Slipknot』の1曲目にふさわしいスリリングな曲です。
Sulfur
ジョーイの最大の武器は、やはり華麗なツーバスプレイです。まるでマシンガンのような高速ツーバスから、ミドルテンポ、タムを絡めたツーバスまで、ジョーイ・ジョーディソンの多様なテクニックが楽しめます。
まとめ:ジョーイ・ジョーディソンは世界屈指のメタル・ドラマーであり、表現者だった!
ジョーイ・ジョーディソンは、世界屈指のメタル・ドラマーです。世界的な人気を獲得したSlipknotですが、バンドの屋台骨ジョーイ・ジョーディソンのドラムと楽曲制作がなければ現在のようには存在しなかったかもしれません。
残念ながら2021年に亡くなってしまいましたが、ジョーイ・ジョーディソンが表現した音楽は今後も人々の心を惹きつけます。
ライブで姿を見ることは叶いませんが、音源や映像からジョーイ・ジョーディソンの素晴らしい音楽に触れてみましょう!