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カーネル・サンダースってどんな人?65歳の起業に学ぶ成功の秘訣とは

カーネル・サンダースは、ケンタッキーフライドチキンの創業者。40回以上の転職や65歳で無一文から起業するなど、波乱万丈の人生はもはや伝説として語り継がれています

この記事では、カーネル・サンダースの生涯と起業の道のりを振り返りながら、起業家としての彼の哲学やリーダーシップに迫ります。成功の秘訣に興味のある方はぜひご覧ください。

※記事内のイラストはAIで生成したイメージ画像です。

カーネル・サンダースの起業の道のり・生涯

質問ワニ
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カーネルさんって一言で言うならどんな人なの?

運営者
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完璧への追求が半端ない人ですが、かわいいエピソードもありますよ!

ここからは、カーネル・サンダースの波乱万丈な生涯を紹介します。

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幼少期で料理の楽しさを知っていた

カーネル・サンダース(以下、カーネル)は1890年、アメリカ合衆国インディアナ州ヘンリービルの家庭に三兄弟の長男として誕生します。6歳で父親が他界するという、大変な幼少期を過ごしたようです。

しかし幼いカーネルは姉弟たちの面倒をみるうちに、自分が作った料理を人に食べてもらう嬉しさを体感します。姉弟たちや母親、さらに周囲の大人たちに料理の腕前を褒められたのが相当嬉しかったらしく、晩年にもそのエピソードを話しています。ケンタッキーフライドチキンの原点は、カーネルの幼少期にあるのかもしれません。

12歳で自立するも度重なる転職を経験

カーネルが12歳の時に母親が再婚し、義父との折り合いの悪さから早くに家を出ています。その後は農場の手伝いや軍隊、機関士、弁護士、保険外交員など、いろいろな仕事を経験します。

転職を繰り返した主な理由は、仕事のやり方で会社と揉めることが多かったためです。現代でこそ優しい微笑みを浮かべた温厚な老紳士というイメージが定着していますが、意外にもカーネルはガンコな性格の持ち主。自分に許せないことがあると、とたんに職場を去ってしまいました。結果、カーネルが生涯で転職した回数は40回以上となります。

22歳で経営者となり成功と失敗を繰り返す

22歳になったカーネルは、ここまでの経験から「自分には雇われは向いていない」と思うように。最初に始めた事業は、フェリーボートの経営です。利益の問題からすぐにやめてしまいましたが、30代後半で始めたガソリンスタンドで成功を果たします。

給油以外にも、窓ふきや整備のチェックなど献身的なサービスで一躍繫盛店の経営者に。当時ここまでのサービスを提供するガソリンスタンドがなかったため競合店との差別化が図れました。しかしガソリンスタンドの経営は1930年代の世界大恐慌をきっかけに立ちいかなくなり、店舗を手放しています。

サンダースカフェの誕生

1つ目のガソリンスタンドを手放した翌年に別の場所でガソリンスタンドの経営を復活させます。2回目のガソリンスタンドにはサンダースカフェを併設。サンダースカフェでは、フライドチキンやビスケットなどの軽食を提供します。

シンプルなメニューでありながらも、丁寧に作られた料理が清潔な空間で食べられることに喜ばれました。勢いに乗ったサンダースはガソリンスタンドだけでなく、レストランとモーテルの経営に成功します。美味しい料理と心地良いサービスが受けられるカーネルの店舗は、毎日たくさんの人がやってくるようになりました。

運営者
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カフェやレストランで一番人気だったメニューはフライドチキンだったそうです!

50歳目前で火事で店舗が消失して道路事情の変化で売上激減

カーネルはある日、経営しているレストランを火事でなくしてしまいます。自分の店舗を失った悲しみからレストラン事業から手を引こうとしますが、カーネルの料理を絶賛してくれるファンに勇気づけられ、同じ場所でレストランを再開します。

しかし数年が経過すると道路事情の変化により売上が激減。サービスの良さはもちろんですが、道路の利用者をターゲットにしていたカーネルの店舗は、高速道路の建設によって危機を迎えます。後にカーネルは「高速道路が建設されなかったら、私はケンタッキーフライドチキンを始めなかっただろう」と語っています。20年以上かけて作りあげたレストランを手放す決意をしました。

65歳から再出発

レストランを手放したカーネルの資産は、もはやフライドチキンのレシピだけでした。人生の再出発を熟考した末に、フライドチキンの調理法を教えてロイヤリティを得るフランチャイズビジネスを思いつきます。フランチャイズ一号店を開店できたものの、より売上を拡大する必要がありました。

「美味しさを知ってもらうには、食べてもらうしかない」そう考えたカーネルは車にフライドチキンの作るための圧力鍋と調合スパイスを積んで、営業活動を開始します。60代後半に突入したカーネルは車中泊で見本のフライドチキンで食事を済ませて、アメリカ中を駆け巡る生活を始めました。

1009回断られても諦めない

最終的に成功を手にしたカーネルですが、レストランへの営業で1009回も断られています。何もない状態から開始1年で7件のレストランとフランチャイズ契約を締結。

その後順調に契約店舗を増やして、1960年(70歳)時点でアメリカとカナダで400店舗と契約を交わします。1980年に亡くなるまで、世界中のフランチャイズ店舗をパトロールして製法が守られているかどうかを確認しました。

カーネルは日本びいきだった?

ちなみに、日本にケンタッキーフライドチキンが進出したのは1970年です。カーネルは真面目に働き、レシピ通り忠実にフライドチキンを作る日本のケンタッキーフライドチキンを気に入っていました。

カーネル・サンダースが成功したポイント・名言を紹介

カーネル・サンダースは紆余曲折を経て、世界的企業ケンタッキーフライドチキンを作りあげました。ここでは、カーネルの生涯からみた成功したポイントを解説します。

困難を乗り越えるためのマインド

カーネルの生涯は、ジェットコースターのように浮き沈みが激しく壮絶です。成功体験ばかりでなく、10歳での人生初仕事では幼過ぎたゆえにクビになり、火事で自分の店を失うなどの体験もしています。

失敗や無駄だと思われてきたことなどを含めて、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない

ケンタッキーフライドチキン 公式noteより

カーネルは「諦めなければ、いつかは成功する」そう捉えられる言葉を残しています。カーネルの学歴は小学校卒業程度で大成功を収めたのは70代になってからです。泥臭く努力する覚悟があれば、何歳からでも挑戦できるとカーネルが行動で示しています

ブランディングの重要性

カーネルは65歳からフランチャイズ契約を交わしてくれるレストランを求めて、営業活動を開始しました。フランチャイズ契約は、カーネルのほうから断ることもあったそうです。自分の料理を提供するのにふさわしい清潔な店舗のみと契約を交わしました。

65歳になった人なら誰にでも、積み上げてきた経験というものがあります。山もあれば谷もあり、人生には試練もあれば辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。
その経験から活かせるものがないはずはありません。

ケンタッキーフライドチキン 公式noteより

カーネルは顧客のために役立つことだけが事業に役立つと信じていました。目の前の売上だけにこだわるのではなく、未来を見据えた判断力があったからこそ65歳からの事業で成功されられました。

フランチャイズモデルの成功要因

ケンタッキーフライドチキンのフランチャイズ1号店の経営者は、ピート・ハーマンというレストラン経営者でした。カーネルはピートにフライドチキンを振る舞って、フランチャイズビジネスを持ち掛けました。すぐに行動できなければ、このチャンスはなかったかのしれません。

失敗とは、再始動したり、新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。私はそう信じている

ケンタッキーフライドチキン 公式noteより

カーネルの生涯には試練がたくさんありましたが、特に大きなものは65歳からフランチャイズビジネスを展開するときでした。営業を何度断られても諦めなかったのは、自分の作るフライドチキンの美味しさを信じていたからです。素早い行動と自分の感性を信じることで、再び事業での成功を手にしました。

カーネル・サンダースから学ぶ起業の教訓

質問ワニ
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カーネルさんみたいに成功するにはどうすればいいかな?

運営者
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カーネル・サンダースから学ぶ起業の教訓を参考にしてください!

諦めない精神の重要性

失敗とは主観的な判断ではあるものの、カーネルは普通の精神力では到底這い上がれないような失敗を複数回繰り返しています。事業の失敗に関しては環境の変化による部分が多く、カーネルの行動が原因でないものもあります。

さらにどういった原因であっても、カーネルは決して諦めずに再び事業で成功。事業での成功は晩年になるにつれて、規模が大きくなっています。何歳からであっても、精神力と信念があれば資産がない状態からでも這い上がれることを示しています。

顧客満足度を追求する姿勢

カーネルは、フライドチキンの美味しさと行き渡ったサービスで顧客満足度の向上を図っていました。顧客満足度の向上がビジネスでの成功に必ず必要なものだと理解していたのかもしれません。

カーネルが必死で売り込んだフライドチキンレシピは、2020年代の日本でもケンタッキーフライドチキンの目玉メニューです。またカーネルは飲食店に清潔感が必須だと考えていたため、店内の清潔感を最重視していました。現代では当たり前のように感じる部分もあるかもしれませんが、世界展開したケンタッキーフライドチキンによって飲食店の清潔感に関する意識が向上した可能性があります。

カーネル・サンダースは不屈の精神力を持ったエネルギッシュな成功者!

カーネルの人生は、ドラマチックでとにかく波乱万丈。ケンタッキーフライドチキンを創業したのは、並々ならぬ苦労を経験したからこそでもあります。

レストランの経営がうまくいっていたら、日本に住む私たちが気軽にケンタッキーフライドチキンを食べる日はなかったかもしれません。

カーネルの人生からは、泥臭く努力する気力があれば何歳からでも成功を目指せることを示しています。成功と挫折に満ちたカーネルの生き方を知って、逆境をチャンスに変えてみましょう。

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