「エルヴィス・プレスリー」の凄さやおすすめの曲

エルヴィス・プレスリーはロックンロールの創始者であり「キング・オブ・ロックンロール」と称されるアーティスト。

2022年7月にはエルヴィスの映画も上映予定となっており、再び注目が集まっています。

この記事ではエルヴィス・プレスリーの凄さを解説するために、経歴やおすすめの曲をご紹介します。

エルヴィス・プレスリーの経歴

エルヴィス・プレスリーはミュージシャンであり、俳優も務めたアーティストです。

ロックンロールのパイオニアとして有名で、功績を称して「キング・オブ・ロックンロール」とも呼ばれます。

まずはプレスリーの経歴をご覧ください。

エルヴィス・プレスリーの子供時代

プレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州の貧しい家に誕生します。

ギターとの出会いは11歳。

プレスリーは当初ライフルを欲しがりましたが、ライフルの代わりに両親から与えられたのがギターでした。

ギターの練習に夢中になるプレスリー少年は13歳の時に引っ越しを経験します。

引っ越し先は、テネシー州メンフィスでした。

メンフィスでプレスリーはR&Bを聞いて育ちます。

エルヴィス・プレスリーが大人~デビュー前半

後に世界的なスターになるプレスリーですが、高校を卒業してからはトラックの運転手として働きます。

彼の人生で音楽が深く関わるきっかけになったのは、初任給で母親にプレゼントをしたことです。

プレスリーはメンフィス・レコーディング・サービスで母親の好きな古いバラードをレコーディングして、プレゼントします。

メンフィス・レコーディング・サービスは、黒人R&Bシンガーや白人カントリー歌手たちに活躍する場を提供していたサム・フィリップス。

レコーディングスタジオのスタッフ経由でプレスリーの才能を聞いたサム・フィリップスは、プレスリーと連絡をとります。

プロアーティストとして始動したプレスリーは、1954年7月4日から早速レコーディングをします。

ここで発売されたのがデビューシングルの「That’s All Right, Mama」。

「That’s All Right, Mama」は当時黒人音楽とされていたR&Bの要素を持っていたため激しく非難されますが、若者から絶大な人気を博します。

1957年にアメリカの国民的なテレビ番組に出演した際に司会者がプレスリーを絶賛したため、肯定的な見方をされるようになりました。

「Heartbreak Hotel」が全米チャートで1位を獲得し、スターの仲間入りを果たします。

音楽で大成功を収めたプレスリー音楽ですが、俳優としてデビューして、映画界でも名を馳せるようになりました。

エルヴィス・プレスリーの晩年期

30代前半でプリシラ・アン・ボーリューと結婚します。

二人の間にはリサ・マリー・プレスリーが誕生しますが、1973年に離婚しました。

編集者との関係性が悪化したことから、プレスリーは30代半ばで映画俳優としての活動に興味をなくします。

1960年代後半からミュージシャン活動を再び活発化させます。

しかし、1977年8月16日にメンフィスの自宅で亡くなりました。

プレスリーの死については謎が多く、睡眠薬の誤用が原因だという説が一般的です。

エルヴィス・プレスリーの凄さとは

エルヴィス・プレスリーは後世のアーティストにも多大な影響を与えています。

ここでは、具体的にどういった点が凄いのかについて解説しました。

人種差別・ジャンルの垣根を乗り越えた「ロックンロール」

プレスリーが活躍する以前はゴスペル、賛美歌、R&Bといった音楽は黒人音楽だといわれていました。

一方でカントリーは白人音楽とも…。

現在では考えられませんが、当時は音楽のジャンルにも人種差別がありました。

プレスリーは白人ですが、ゴスペル・賛美歌・R&Bの素晴らしさを知り、当時の白人音楽に取り入れます。

最初は激しく非難されたプレスリーですが、デビュー当初から若者を中心に爆発的な人気を博しました。

後にプレスリーはメンフィスだけでなく、全米でスターとなり、世界的なスターに上り詰めます。

プレスリーは「音楽ジャンルの垣根を乗り越えただけでなく、人種差別をも乗り越えた」といっても過言ではありません。

「史上最も売れたソロアーティスト」という商業的な大成功

エルヴィス・プレスリーは、1950年代から1970年代にかけてCD・レコードを6億枚以上売り上げています。

時代がレコード全盛期だったという要因ももちろんありますが、20年で6億枚は偉業です。

このような大成功の結果「史上最も売れたソロアーティスト」と言われています。

「ファッション・髪型」で流行を創造する

エルヴィス・プレスリーがしていた「ダックテール」という髪型が1950~1960年代の若者に大流行します。

またプレスリーがよく着ていた「開襟シャツ」も大流行しました。

世界的に流行したので、日本でもこれらのスタイルは大流行します。

さらに、当時だけ大流行しただけでなく、これらの髪型やファッションは現代もロカビリーファッションの象徴だとされているのがプレスリーの凄いところ。

流行を創造するアーティストは現代にもいます。

しかし、世界的に爆発的な流行を訪れさせただけでなく、髪型やファッションをジャンルを象徴するようなスタイルにまで残せたアーティストはなかなかいないでしょう。

エルヴィス・プレスリーおすすめの曲

エルヴィス・プレスリーはロックンロールのパイオニア。

プレスリーの曲はロックンロールを感じさせる曲からバラードまであります。

ぜひプレスリーの曲を感じてみましょう!

Jailhouse Rock(邦題:監獄ロック)

「Jailhouse Rock(邦題:監獄ロック)」は1957年にリリースされました。

ご機嫌でノリノリになれるロックンロールです。

…と現代人は思いますが、当時の人からすれば斬新でナウい音楽だったことは明白。

Jailhouse Rockは全米チャートで8週間連続1位という凄い記録を叩きだしました。

1980年に公開された映画「ブルースブラザーズ」のラストシーンでJailhouse Rockが使われています。

映画の流れや曲の雰囲気が絶妙に合ってて、愉快なシーンです!

Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)

「Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)」は1956年に発表されたバラード。

プレスリーの曲のなかでも、名曲中の名曲です。

Love Me Tenderは1861年に発表されたアメリカの大衆歌謡「Aura Lee」にプレスリーが歌詞を入れてアレンジした曲。

Love Me Tenderは全米チャートで5週連続1位になりました。

太く甘いプレスリーの歌声がとても味わい深い曲です。

A Little Less Conversation(邦題:おしゃべりはやめて)

続いてご紹介するのは、1968年に発表された「A Little Less Conversation(邦題:おしゃべりはやめて)」です。

A Little Less Conversationはサウンドこそ「プレスリー」ですが、現代音楽の雰囲気に近いキャッチーな雰囲気が感じられるはず。

コールアンドレスポンスや徐々に盛り上がっていく雰囲気がカッコイイ曲です!

まとめ:プレスリーは後世のアーティストにも多大な影響を及ぼした偉大な「キング・オブ・ロックンロール」!!

エルヴィス・プレスリーの凄さは以下の通りです。

  • 人種差別や音楽ジャンルの垣根を乗り越えて「ロックンロール」を創造した
  • 1950~1970年代の20年で6億枚以上のレコード・CDの売上を記録
  • 「ロックンロール」を象徴する髪型・ファッションを創造した

「キング・オブ・ロックンロール」と称されるエルヴィス・プレスリーの凄さは、時代の常識を壊して新しいスタイルを確立させたこと。

ぜひプレスリーの残した作品を感じてみましょう!

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